デイサービス家族・宅老所家族によせて

 賢人達(私は入居者の方々を、佐賀の七賢人になぞっています。)は認知症を患いながらも、声を荒げることもなく、穏やかな日々を施設のスタッフに見守られて生活しています。ここにおられる皆さんは立派に生きて、最晩年として入居しておられるのでしょう。

 

 私の母の経験からですが、ひどい病気をすると病院に入り、今までいた施設の生活が断たれることがとても悲しかったので、一日も元気でいてほしいと思います。

 

 ここ「家族」におられる方々は元議員さんであったり、ピアノの先生であったり、農家さんであったり、様々です。それぞれに現役の時は頑張られて輝いていたことでしょう。過酷な戦争も経験されている方もいるでしょう。しかし、今では多くを語らず、三時のお茶を楽しみ、穏やかにしておられます。きっと財産や田畑やら色々ある方々で、訪問は多くはないかもしれませんが、ちゃんと肉親の方々とも繋がられています。

 

 私も高齢者でもうすぐ行く道ですので、とても興味深く思う所があります。「生きるとは」と「よく生きるとは」の違いを気付いても、もう遅い年頃になりましたが、まだ、自分から周りの人々に感謝と愛を込められるだろうかとも自問自答します。きっと賢人達も悲しみも苦しみも喜びでも、充実した時も無念の時も様々な事が山ほどあったでしょう。しかし、多くを語ることなく、穏やかに過ごしておられます。

 

 ここ「家族」にいる一人の女性が、『私は上峰の米多から三川に嫁に来たよ。八十年くらいになる』と云っておらられましたので『良いですね。近くで』と応えました。上峰町に住んで五十年の私にとっても「三川」という所在地は初めて耳にするものでした。北海道に生まれ、関東から上峰に来て五十年の私にとっては、とても羨ましい賢人さんの「古里」話でした。

 

 最後にこのコラムを「残照」としました。夕日が落ちても、空や山の向こうをまだ照らしているあの残照が、賢人達の今に思え、愛を込めて名づけました。

 

 これからもデイサービス家族・宅老所家族へ応援・後援の程を宜しくお願い申し上げます。

 

                                     令和元年八月吉日 

                                       寺バァバ